T−岡田(オリックス)、山田哲人(ヤクルト)を輩出した履正社高校。この高校の指導法はいわゆる強豪校と一風変わっている。その履正社の強さの秘密を解剖してみたい。

履正社の歴史

履正社が甲子園の舞台に初登場したのは1997年の夏の甲子園だった。当時の大阪はPL学園の力が強く履正社の名前は全国的にもまだ無名で案の定というべきか初戦で敗退している。

その後、2006年に春の選抜甲子園に出場し大阪屈指の強豪へと進化したのだ。2011年からは選抜高校野球に4年連続出場をし今年は山田哲人を擁し出場した2010年以来6年ぶり3回目の夏の甲子園出場も決めている。

岡田龍生監督の就任後

監督である岡田龍生は1987年に甲子園に出場したことも無い無名の履正社に監督として就任した。岡田監督が26歳の時だ。桑田真澄(元巨人他)、清原和博(元オリックス他)がPL学園で1985年に全国制覇をしその後も立浪和義(元中日)らが活躍し入部希望者が増えたPL学園全盛期のことだ。当時の履正社は専用のグラウンドもなく他の部活と共用でグラウンドを利用するような環境で打倒PL学園で甲子園という状況ではなかった。

岡田監督は高校時代に強豪校である東洋大姫路で甲子園にも出場しておりそのギャップに苦しんだという。

履正社には野球部専用のグラウンドもなく他の部活動とコートを分けあっており全面で使える日は週に2回のみ。また、グラウンドを使えない日もあったという。そういったハンデの中、岡田監督は現在も貫いているバントを軸とした細かい練習に時間を割いた。大阪の強豪校には打ち勝つことが難しいと感じたからだ。バント、守備、走塁を徹底的に練習しミスを極限まで減らす。そして、相手のミスを待つ。打撃力がない分他力本願的な野球をせざるを得なかったのだ。これが”バントの履正社”と呼ばれる所以だ。

履正社の練習はノック、連携などの全体練習以外は選手達の自主練習として時間が割かれている。全国の強豪校の中では珍しいのでは無いだろうか。

岡田監督は自身の高校時代に”やらされる練習”を続けたために先のステージで苦労した。言われた練習を言われた通りにやっていただけで考えることができなかったのだ。

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