メキシコ野球を追う – 第2回 -メキシコ野球の栄光の跡、デルタパーク

現在メジャーリーグ傘下のマイナーリーグとして3Aにランキングされているメキシカンリーグだが、現実にはマイナーリーグの統括組織であるナショナルアソシエーションに加盟している以外は、独自に運営されている。メジャーにとって「外国のプロ野球」だったメキシカンリーグが、マイナリーグとして取り込まれた背景には、1940年代の「黄金時代」、このリーグが、メジャーリーグと張り合おうとした歴史が隠されている。

メキシカンリーグを「メジャーリーグ」にしようとしたホルヘ・パスケル

パルケ・セグロ・ソシアル

 1925年に発足したメキシカンリーグを、全国規模のものにしたのは、タバコ産業などで財を成したホルヘ・パスケルである。1940年、首都メキシコシティにみずからの故郷、ベラクルスの名を冠したアスルス(ブルース)を設立した彼は、1928年に建てられた球場、パルケ・デルタ(デルタ・パーク)を自分のチームのホームスタジアムとして大改修する。この頃、メキシコでは野球が一番の人気スポーツといってよく、2万人収容のこの球場は、しばしばスタンドに収容できない観客をフィールドに詰め込んだ。

 1946年に、リーグの会長の座を射止めたパスケルは、メジャーリーグに対抗すべく、選手の引き抜きを行うが、結局この「野球戦争」と言われたアメリカ野球との戦いはパスケルの負けに終わってしまう。しかし、アメリカでカラーバリアーが存在したこの時代、ニグロリーグやキューバリーグの選手を受けれたメキシカンリーグは確かにメジャーリーグに匹敵するレベルを誇っていた。

 1955年、失意のうちにパスケルが死ぬと、球場の敷地は政府に買い取られ、跡地にはパルケ・セグロ・ソシアル(社会保険球場)という無機質な名がつけられた。その後、この球場はパスケルが保有していたもうひとつのチーム、ディアブロスロッホス(レッドデビルズ)とパスケルに代わってリーグの指導者となったアレッホ・ペラルタが創設したティグレス(タイガース)の本拠として長らくメキシコ野球の中心として幾多の名勝負を見守った。

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