侍ジャパンの強化試合も終わり、野球シーズンは本格的にオフに突入する。来シーズンのひいきチーム、あるいは、WBCでのサムライジャパンの予想もいいが、野球を現代社会におけるひとつの文化事象を考え、教養を深めるのもストーブリーグのひとつの過ごし方ではないか。そういうオフの過ごし方にぴったりの野球映画を紹介する。

政治に翻弄される日韓関係と野球

 侍ジャパンの強化試合での戦いぶりには不安を覚えた人も多いだろうが、来春のWBCでは順当に行けば、日本は第2ラウンドまでは進むだろう。前回大会から、この大会の看板カードである永遠のライバルである韓国との対戦は第1ラウンドではなくなり、韓国は今大会では、ドーム球場ができた自国ではじめて第1ラウンドを迎える。ともに下馬評どおりなら第2ラウンドに勝ち進むだろうから、東京でまたあの熱き戦いが繰り広げられることだろう。

 近代以降の日韓の歴史は、両国民間の感情に大きな溝を生んだ。スポーツは、しばしば、政治的経済的弱者が強者とフェアなかたちで争える「抵抗の場」として機能するが、日韓関係を語るときにもそれは当てはまり、戦後、日本を唯一凌駕できるであろうサッカーの対抗戦で訪日する韓国代表の面々に対して、ときの李承晩大統領は、「万が一、負けたら帰ってくるな、帰国の際、船から玄界灘に身を投げろ」と、叱咤激励したそうである。

 そういう中、日本に比べ競技力の劣っていた野球は、「憎き敵」を見本とすることによって発展を遂げてきた。日本統治時代の朝鮮で育った白仁天(はく・じんてん/ペク・インチョン)は、戦後、韓国が独立を回復した後、周囲から罵られながらも、日本野球にあこがれ、日本に渡り、プロ野球に偉大な足跡を残した。複雑な国民感情は、選手が日本に渡ることをよしとせず、また、日本人を「先生」として招き寄せることも潔しとしなかった。そういう中、朝鮮半島では「同胞」と呼ばれる在日コリアンたちが、進んだ野球の伝道師として玄界灘を渡った。韓国にプロ野球が発足したのは1982年のことだ。翌年から韓国リーグは、「助っ人」として「同胞」選手の受け入れを始めるが、当時の競技レベルの差は、日本のプロ野球ではもはや主力として活躍できなくなっていた彼らをチームの浮沈のカギを握るヒーローに仕立て上げた。しかし、韓国人でもない日本人でもないある種あやふやな存在は、「母国」においても彼らを微妙な位置に立たせる。彼ら在日コリアン選手の心理を見事に描き出したのが、関川夏央の名著『海峡を越えたホームラン』である。

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