掲載日: 文章:阿佐 智

筒香嘉智も参加したドミニカのウィンターリーグとは?「ウィンターリーグを探る」

今やサムライジャパンの主砲となった筒香嘉智。今シーズン、本塁打を倍増させた背景にドミニカウィンターリーグでの武者修行が挙げられる。前回WBCでの優勝にも現れているように、このカリブ海に浮かぶ島国はタレントの宝庫である。今回は、このドミニカ共和国(以下ドミニカ)のウィンターリーグに迫ってみる。

アメリカ野球の一部になった「カリブの雄」

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 ドミニカに野球が伝わったのは、1880年、キューバからのこととされる。その後、砂糖産業の労働者の間で野球は人気を博し、1907年には現在まで続く名門球団、リセイが誕生している。その後、アメリカの影響の下、野球は組織化が進み、1921年にはこの年創設されたエスコヒードとリセイの対抗戦が開始、翌年にはプロリーグに発展した。その後、世界恐慌のあおりで最初のリーグは中断したが、1936年に復活した際には、独裁者トルヒーヨの大衆迎合の手段として野球は利用された。彼は首都の名門クラブ、リセイとエスコヒードを統合し、ドラゴネス・デ・トルヒーヨとし、アメリカからニグロリーグのスター、サチェル・ペイジらを迎え、ドミニカリーグに最初の隆盛をもたらした。しかし、結局このリーグも財政破綻により消滅してしまう。

 その後、1951年になってようやくプロリーグは再開される。1954年までは、ドミニカリーグはアメリカ野球から独立し、夏季リーグとしてキューバやニグロリーグから選手を集めメジャーリーグに匹敵するレベルを誇っていた。とくにこの50年代前半は「ベースボール・ロマンティコ」と呼ばれる最盛期を現出していた。

 しかし、1954年シーズン後にMLBとの間に結ばれた協定により、ドミニカリーグはウィンターリーグとなり現在に至っている。

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